56歲夫婦 卵子提供治療の中で得た 愛と諦めない心
繰り返される投薬、回数ばかり重なる移植、着床しないことに肉体的、精神的、そして金銭的苦痛が増えていきました。ドクターからは「若い時ならうまくいくんですけどね」と心無い言葉を浴び...
2025-08-06
真剣に向き合い始めた不妊治療、医師から受けた冷たい対応
夫から見た不妊治療
夫婦で話し合い不妊治療を始めました。当初は赤ちゃんが授かると言う期待と不安がありつつも、この時は治療すれば授かるものだと思っていました。実際には様々な検査や投薬があり、妻の体にかなり負担がかかるということが分かってきて、私は何もできない無力感でいっぱいでした。これを乗り越えれば赤ちゃんが授かる、その思いだけで、自分にはどんなサポートができるだろうと、そればかりをいつも考えていました。
治療を進めていくと、なかなか着床しないことが続きました。繰り返される投薬、回数ばかり重なる移植、着床しないことに肉体的、精神的、そして金銭的苦痛が増えていきました。こちらとしては、ドクターたちがメンタル面でもサポートしてくれると思っていましたが、年齢が高齢だったので「若い時ならうまくいくんですけどね」と心無い言葉を浴びせられ、分かっている、だから不妊治療をしているのに、もっと患者の立場に立ってもらえると思っていたのに、とたくさん言いたいことを飲み込んでいました。ドクターの対応、スタッフの対応、病院の無神経な設備(かたい椅子、日差しが強くカーテンのない窓など)病院に対して苛立ちを感じつつも頼るしか無く、何も言えずに我慢。妻を見るたびに痛々しく、罪悪感すらおぼえ、不満や不信感が募り転院を決断、その後も常に妻と話し合い、特別養子縁組を考えることもありました。
他院で卵子提供に挑むも、期待外れの結果に
新たに不妊治療を始めた転院先の病院では、院長はじめ暖かいスタッフの方々がとても親身になってくれましたが、頑張る妻の横で無力な私は、役に立っているかも分からず、とにかくサポートすることしかできませんでした。そして現実はなかなかうまくいかず、もう妻に負担をかけたく無い、妻の体が気になる、と諦める気持ちになっていました。
その後、卵子がなかなか得られないこともあり、卵子提供のことを考え始めました。病院にも相談したり、色々情報を調べていると、偶然日本での説明会があることを知りすぐに参加、そして台湾で卵子提供を受けることを決めました。様々な書類手続きを済ませ台湾へ向かいましたが、当時は卵子提供についての情報があまりなかったため、不安感と正直不信感と期待が入り混じった状態でした。
やるしかないと言う思いで迎えた移植、これでやっと赤ちゃんが授かると信じるしかなく、かなり失礼ながら、胡散臭さは拭えませんでした。初診日と3回の移植のために台湾に行きましたが、結果には結びつかず「諦め・苛立ち・八方塞がり」、そんな沈んだ気持ちの中、ついにコロナ禍が始まってしまいました。勝手な思いですが「騙された、仕方がない、うまくいった人もいる、私達がついてないだけ」と心の整理がつかないまま月日が流れました。
その間、妻と2人で何回もお互いの想いを話し合い、励まし合い、労り合いました。私達の今後の人生や、もし授かったら歩むであろう子供の人生、本当に本当に深く深く考えました。そして出した結論は「私達は子供がほしい」。たとえエゴでも、それをはるかに超える愛情と絆で共に人生を歩んでいこうと2人で決め、不妊治療を再開しました。その頃にはコロナ禍もかなり落ち着き、以前から調べていたコウノトリさんに連絡をし手続きを始めました。
波乱の道のりを経て、ついにコウノトリで新たな命を迎える
日本語コンサルタントチームの方々にはきっと大丈夫、うまくいきますと何回も何回も励ましてもらいながらスタートしましたが、その時の妻の様子は、やっても無駄になるのではないか、とかなり気にしているように私には見えました。私はとにかくスタートしたのだから、前だけを向いて進んでいこうと声をかけました。過去のことがトラウマで、私も相当不安だったため、自分にも言い聞かせるように言っていました。
そしていよいよ台湾に行き、移植の日を迎えました。当然、ここまでの工程は何度もやってきているので、まだまだ不安や不信はありました。受精卵のグレードの事や色々なことが気になり、何度もスタッフの方に尋ねたりしたので、多分相当手のかかる患者だと思われていたと思うのですが、そんなことを気にしている状況ではなかったのを覚えています。
そして日本に帰り、日本の不妊治療クリニックで予定よりも1週間早く妊娠を確認することができました。妻が涙を流しながら診察室から出てきたのをいまだに鮮明に覚えています。うまくいったのか駄目だったのかどちらの涙か分からなかったので、私は妻が妊娠したと言う言葉を発するまで本当にドキドキでした。そしてしばらく2人で涙を流して喜んでいたのを今でも鮮明に覚えています。
その後も毎週病院に通い、赤ちゃんが少しずつ育っていくのを2人で本当に喜んでいました。コウノトリさんにも連絡をし、本当に私たちと同じように喜んでくださったのを覚えています。私は妻が喜ぶ姿が本当に嬉しくて、どうかこのまま赤ちゃんが成長し生まれてきて欲しいと切に願っていました。
コウノトリさんのドクターはじめ、スタッフの皆さん、私たちとずっとお付き合いしていただいた日本語コンサルタントチームの皆さんには、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。
今思うと、移植後からが本当に素晴らしいサポートをしていただいたなと心から感謝しています。コウノトリさんの卒業、不妊治療のクリニック卒業に向けて、まだまだ赤ちゃんが無事に育ってくれるか不安な日々を過ごしている中、何度か出血があったり、妻が何か体調がおかしい、赤ちゃんがもしかしたら…とそんなことが何回かあり、その都度、コウノトリさんへ連絡をすると、日本語コンサルタントチームの方々が的確なサポートをしてくださいました。特にコウノトリさんでご説明をしていただいた担当のスタッフさんが本当に本当に嫌な顔1つせず、俊敏に的確に指示をくださったので、妻は不安な顔をしながらもそれに従って投薬、横になったりと対処することができました。
コウノトリさんには、卒業前とはいえこんなに何回も連絡してもいいのかな?と申し訳なく思いながらも、担当のスタッフさん以上に頼る人はなく、相当お手をわずらわせました。ここまでサポートしてくださるとは心にも思っていませんでした。本当に本当に心から感謝しております。
コウノトリさんを卒業、不妊治療クリニックも卒業し、今は産院に通いながら出産までの日々を過ごしています。病院で行った様々な検査も問題なく、赤ちゃんはとても健康で、早くも後期に入りました。コウノトリさんを卒業してからも、何度もLINEメール等で妊婦検診の報告をさせていただいております。私から見ていても、妻の安堵感・喜びの顔、本当に今まで辛い思いをしてきたので、今が多分人生で最高に幸せだと思ってます。
もちろん、いろんなところで成功される方はいらっしゃると思いますが私たちは本当にかなり遠回りをして、たくさんの経験をし、いろいろなクリニックを回ってきたのでコウノトリさんに出会えて本当によかったです。HさんCさんKさん、クリニックのメンバーの皆様には本当に感謝しております。赤ちゃんと一緒に台北コウノトリさんへ行くことを楽しみに、そこまで妻と奮闘して赤ちゃんを育てていきたいと思っています。皆さん待っててください。
コメント:
- 辛い治療、他のクリニックでの卵子提供を経てコウノトリへ
初診前にこれまでの治療歴を確認はするものの、当時のお気持ちは推し量ることしかできず、今回お寄せいただいた体験談を拝見して初めて、その時のご夫妻の心情が伝わってきました。年を重ねてからの治療は、なかなか結果に結びつかず、本当に辛い道のりだったと思います。卵子提供という道、そして当院とのご縁がこうして一度の移植で成功という結果となり、本当に嬉しく思います。 (投稿いただいてから間もなく、無事に元気な男の子を出産されました!)
- 日本語コンサルタントチームとして
初診から移植に至るまで、メールはもちろんお電話でもたくさんお話をさせていただきましたが、いつも電話口から聞こえるのは明るいご主人さまの声。いつも気さくに話されるので、面倒・煩わしいなんて思ったことは本当に1度もありません。 私たち日本語コンサルタントチームのサポートがご夫妻にとって安心の一つに繋がったのであれば、これほど嬉しいことはありません。 ぜひご家族三人で台北へ遊びにお越しください!今からとても楽しみにしています。
| 卵子数 | 正常受精 | 胚盤胞 | 移植 | ERA | 結果 |
|---|---|---|---|---|---|
| 22 | 16 | 5 | 2個 培養6日目 5BC PGT-A/PGS未実施 |
121時間 | 元気な男の子を出産 |
*実際の治療は医師の診断のもと行っていきます。
本文は編集当時の治療状況、及びご提案です。




