2016-02-05

4000キロの縁!高齢者の不妊治療は苦難の道

華人健康ネット【文/産婦人科王懷麟医師】

「ウルムチ市」は世界において海から最も遠い都市であり、頭の中にまだかすかな記憶が残っている都市です。
昔の名称は迪化市とし、幼い頃に中学校の教科書で見たことがあるような、感覚的には台湾から遥か遠いという印象です。
人生の幸せを追求する旅の途中で、その距離におののいた場合、あなたはそこから逃げますか?
それとも長途の旅をいとわずに4000キロの遠い地方へやって来て、子供を授かりたいという夢を実現しますか?

神に問いかける言葉も見つからない!子供を求めて5年、苦難を乗り越え夢がかなう

この中国のウルムチ市から来た女性は、診察のために台湾に来ました。
その時既に42歳と高齢であり、結婚して20年、本来家庭における幸せを持つことができたはずでしたが、不運にも2回の子宮外妊娠に見舞われました。
両側の卵管は犠牲にならず、健康にも影響はありませんでしたが、今までずっと良い知らせがありませんでした。
時間は瞬く間に過ぎ、既に年齢は35歳を過ぎていたため、医者に妊娠が一日も早く訪れるよう助けを求めざるを得ませんでした。

神様が故意に与えてくれないのか、それとも自分の努力が足りないのか分かりませんが、中国各地の医療機関をいくつも回り、各種の西洋的、東洋的な方法で治療を行ってみたり、苦い漢方薬も試してみましたが、妊娠は彼女とは無縁でした。
中国で最も有名な生殖医療センターで5年のうち4回の体外受精治療を行い、全て失敗に終わりました。
そして瞬く間に40歳を超え、子供を求めるために中国のほとんどの地を駆け回りましたが願いは届かず、今後どのようにすればよいか、まさに神に問いかける言葉さえ見つからずにいました。

遠く離れた台湾へ!子供を手にしたいというたった一つの願いのために

偶然にも、ある日家族で食事をしている時に、台湾に嫁いだ従姉妹が彼女と同じように苦労しながら不妊治療を行ったことを知りました。
その従姉妹は子宝に恵まれる願いを叶えており、彼女に台湾に来て試してみるのも悪くないとアドバイスをしましたが、台湾は見ず知らずの土地で、しかも自分の住んでいる場所から遥かに遠いため、チャレンジする勇気が持てずにいました。

その後彼女は半年近く悩みましたが、このままずっと家で妊娠を待っているのは得策ではないため、台湾で探してみようと考えるようになりました。
初めて診察に訪れた時、台湾の医療は一体どこが中国と違うのかなど、まだ半信半疑でした。
しかし、やはり従姉妹が話していたように、設備やシステムも全て彼女が今まで体験したことのないものであり、少なくともここでは、自分は本当の「(治療が必要な)病人」であり、ただ「診察する」だけの場所ではないと感じていました。

年齢の呪いは手強い敵!女性は出産のタイミングが大事

血液検査により、案の定年齢の呪いには敵わないことが分かり、AMH(抗ミュラー管ホルモン)は0.27しか残っていませんでした。
診察室で涙が止まりませんでしたが、感嘆しても歳月は戻ってこず、青春も帰ってきません。将来母親になり、未来の幸せを見るチャンスは、卵子提供を受けるしかありませんでした。
若さとはやはり資本です。若いドナーから合計11個の卵子を提供してもらい、受精後は9個の胚となり、最終的に6個の良好な胚を着床前検査に出したところ、意外にも全てが正常と判定されました。
彼女は、年齢が妊娠力に影響するという事実について身にしみて感じました。

4,000キロの縁!念願が叶い2人の子供を抱ける日が

1回目の移植は落第に終わり、彼女と医師にとってこれは大いに思いがけないことでした。
以前、2回の子宮外妊娠は全て卵管上の胚を処理しただけで切除はしてなかったので、卵管に傷が生じている疑いがあり、しかも卵管水腫により良好な胚の着床に影響が出ている可能性もありました。
検査の結果は予想した通り、右側の卵管が詰まっており、左側の卵管に水腫ができていることが分かりました。
そこで緊急に腹腔鏡手術により卵管を遮断し、2週間の療養を経てから、次の治療工程を再開しました。

前回の失敗のようなことが起こることはなく、ようやく順調に妊娠が成立し、しかも2人の健康な赤ちゃんに恵まれました。
この遥か長く遠い妊娠への道は、ようやくピリオドを打ちました。そして4000キロの遥か遠く離れた縁が、円満な家庭の幸せをつくり上げてくれました。